担任助手卒業ブログ ~疋田~ | 東進ハイスクール 調布校 大学受験の予備校・塾|東京都 東進ハイスクール調布校|東京都

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2021年 5月 22日 担任助手卒業ブログ ~疋田~

こんにちは!

先日調布校担任助手を卒業した疋田です。覚えてますか??

今回は同じ校舎で育った1人の先輩として, みなさんに伝えたいことを僭越ながらこのブログに書き記し、私の最後の仕事とさせていただきます。

無論私が述べることはたかが19年の経験しかない未熟な学生の、個人的な意見です。

こんな考え方もあるんだなー程度に読んでいただけるとよいかと思います。

もしこのブログがみなさんのためになったら幸いです。

 

私が伝えたいのは、「頑張る」ということについてです。

学校や予備校や部活などで活動していると「頑張る」という言葉は日常的に耳にすると思います。

ここでみなさんに聞きたいのですが「頑張る」ということについて考えたことはありますか?

なぜ「頑張る」のですか?

恐らくこの問いに対する返答は人それぞれであり正解はないと思います。

しかし私の場合の返答はこうです。「頑張る」理由は、「他者によって評価され場合によっては周囲と比較され優位に立つ必要があるから」です。

まず、「頑張る」という行動をするとき、そのベクトルはある目的に向いていると思います。

例えば、部活において。野球部と仮定しましょう。野球部に所属するA君が野球を「頑張る」理由はなんだと思いますか?

・甲子園に行きたいから

・スポーツ推薦が使えるから

・上達したいから

上のような解答が頭によぎった人は多いのではないでしょうか。

まず甲子園に行きたいとき、A君は大会で勝ち進んでいかないといけません。この時、勝ち進んでいくということは審判や大会運営者に相手チームと

点数を使って比較され多い点数を取ったと評価される必要があります。だから彼は「頑張る」のです。

次にスポーツ推薦を使うためのとき、大学にスポーツ推薦で合格するには、大学側に高い評価をもらい他の選手より適当なほど優位にいる必要があ

ります。だから彼は「頑張る」のです。

さらに上達のためのとき、これは一見他者の評価が不要に見えます。上達するというのは例えば球速を120kmから130㎞にするようなことが挙げられる

と思います。A君は自主練を重ねこれを成し遂げたとします。しかしこの時、彼が上達したのは数字的に証明されますが、証明をして彼が頑張ったとみ

なされるのは事後的であり、それを決定するのは我々A君の周りの人ではないでしょうか?

たしかにA君自身が数字を見て「俺は頑張っている、または頑張った」と思っている場合、これは頑張ったとみなしていいのではないかと思う人もいる

と思います。個人が満足しているのならそれでいいと。・・・*

しかし、私はその頑張ったというものは自己の内面で発現した効力のない言葉だと思っています。

というのも頑張ったという言葉が効力をなすのは、頑張ったということを自分の外側に言動によってアピールをし、外部の者によって知覚され、頑張っ

たと判断される必要があるからです。

*のところをもう一度見てください。A君が頑張ったかどうかあなたが判断しているのではありませんか?

ゆえに、頑張ったというのは他者によって評価され時には周りと比べられ是と判断されて初めて意味をなすのです。

そしてそのように「他者によって評価され場合によっては周囲と比較され優位に立つ必要がある」から「頑張る」のです。

これを顕著に反映されているのが受験勉強や資格勉強、部活動だと思います。

受験勉強においては言うまでもなく、合格か不合格がそのゴールだと思います。人生やキャリアのゴールはまた別ですよ笑

そして、その合否を決めるのは大学側であり、点数によって評価され他の受験生より上位にいるかで決まります。

合格通知を受けとるには「他者によって評価され周囲と比較され優位に立つ必要がある」のです。

だから「頑張る」のです。

受験本番に書く解答が採点者から周りより高い評価をいただけるようなものであるために頑張るのです。

たしかに、頑張るのは自分の成長のためだ、という人もいると思います。では成長したとして、それは自己完結して終わりなのでしょうか。

成長をするために頑張ったと自分が思っているとして、それを外部にアピールするのではありませんか?

みなさんの場合、一番身近な例としては模試が当てはまると思います。

成長して頑張った証拠を、日々の模試での偏差値上昇として具現化し、それを周りの人(あなたの知り合いでない人を含む)が認識し、頑張ったと認定

され初めて成長し頑張ったということが確立されるのではないしょうか。

また、模試で成績が伸びてないけど自分は頑張ったという生徒がいるかもしれません。

こんなに頑張ったのになんで点数が前回と変わらないんだっという類のものです。この経緯を模試後の面談で話すとします。

もしあなたの担当の先生が「たしかに頑張ってるね。でも進度的にもう少し進めないと点数にはつながらないのでは」と言った場合、生徒は「あ、なる

ほど。たしかに全範囲終わってないのにこの分野が解けないのはしょうがないか、このまま頑張ろう。」となるとします。この時、生徒の模試までの

勉強は他者によって評価され、頑張ったということがその場において、たしかに認められたと思います。

一方で、もし、あなたの担当の先生が「この勉強量だとまだ足りないかなーもうちょっと頑張ろう」というニュアンスの発言をした場合、生徒は「う

そだろ、自分はちゃんとやったのに」と思い、模試までの勉強は「頑張っていなったのか」となるか「いや誰が何と言おうと頑張っていたんだ」と貫く

かのどちらかになると予想されます。しかし、どちらにせよ、その面談という空間において、その生徒が頑張ったというのは少なくともその生徒の内面

でしか存在しえなくなり、外面では頑張っていないという結論に至ります。

このように頑張ったないし頑張っていると認定される基準は受験勉強において、

「頑張る」理由は、「他者によって評価され場合によっては周囲と比較され優位に立つ必要があるから」という定義に基づけば

他者がだれかによるということがわかります。

先ほど模試(採点者ないし予備校など)と自分の担当の先生という他者を紹介しましたが、ほかにも親や親の知り合い、同級生、学校の先生など

様々な他者がいて各々独自の基準を持って頑張ったかどうかという判断を下します。

問題はあなたが「頑張った」ということに効力を持たせるには、どのレベルの基準を持つ他者に認められるのが適当かということです。

もし、あなたが地元の学校で模試の成績が50位から1位になりたいとき、それを実現すれば、あなたは同級生から頑張ったんだなと認められ、自分も頑

張ったんだなと思うでしょう。しかし、あなたが1位になりたい理由が歴代学年1位の平均偏差値が70ほどで自分の志望校と近いからだとし、1位になっ

ったがあなたの偏差値が60で学年全体のレベルが模試前に急に下がっていたとします。この時これを知った塾の先生は、たしかに生徒たちのなか

では頑張っていたが、一般的に見たらあまり勉強してないなとみなす可能性がでてきます。

もし、あなたが同級生に認められるレベルの頑張ったでよいと思うなら、たとえ目標を達成せずとも頑張ったということになります。

しかし、もしあなたが塾の先生に認められるほどの頑張ったを予想していた場合、それは頑張っていはいたが完全に頑張っていたとは言えないので、

端的に言えば頑張っていなかったということになるのではないでしょうか。

 

このように、頑張った、あるいは頑張っているというのは一言で言い表すことはできますが、とても難しい言葉です。

私が言いたいのは

みなさんも今勉強している最中だと思いますが、

自分はどの程度頑張る必要があるか、あるいは自分は目標に合う頑張りをしているかということをもう一度考えてほしいということです。

今のあなたの頑張りは志望校に高い評価をもらえるような点数を本番でとれるものでしょうか。

そしてその頑張りはその志望校に届かない基準のレベルで判断されたものではなく、ちゃんと志望校にまで届くものさしで判断しているでしょうか。

自分が頑張ってると思うならそれでいいとよく聞きます。私はこの意見については賛成です。

しかし、その頑張っているというのは適切な基準をクリアした頑張っているということかが受験においては死活問題であり、合否等を気にしないのであ

れば何も考えず、自分が頑張っていると思うならそれでいいと思います。ただ、その周りがその人の望む基準を持っていてその判断で頑張って

いないとなれば、それは彼の内面での完結にとどまり、外面では頑張った、頑張っているというようにはならないでしょう。

自分の頑張っているは本当に自分の理想の頑張っているのか、評価された後頑張ったと認定されるものなのか、もう一度考えてみてください。

もちろん頑張らなくったっていいと思います。しかし、自分だけのことではなく、様々なことを総合的に考慮して行動することをおすすめします。

時間は一方通行でありその直線は受験本番も通りますしその後の全ての出来事に繋がっています。その直線上でどう過ごすかはあなたの目標が何で

、それ必要なのが何で、どれくらい必要か次第だと思います。

 

おそらくこれが就活などにも当てはまると思っていると私は考えているのですが、まだ経験していないので語ることができません。笑

 

しかし、経験者として少なくとも受験ではこの話は一理はあると思うので、

賛否両論あると思いますが、これを機に少しこういうことについて考えてるのもよいかと思います。

長々と書いてしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

最後に、この1年間お世話になった、生徒とスタッフ一同、関係者に感謝申し上げます。

心よりありがとうございました。

 

疋田 純大